★ 【契りの季節】remarriage ★
クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号364-7995 オファー日2009-06-07(日) 21:36
オファーPC 真船 恭一(ccvr4312) ムービーファン 男 42歳 小学校教師
<ノベル>

 ねえ、せっかくだから六月に挙式しようよ。
 冗談じゃないわ、蒸し暑い季節に締め付けのきついドレスを着るなんて。髪の毛だって湿気でまとまらないし、最悪。雨の中を正装で来なきゃいけないゲストだってかわいそうじゃない。
 それはそうだけど……。でも女の憧れじゃないのか、ジューンブライド。
 そんなもの、ブライダル業界のでっち上げよ。
 だって、神話に出てくる家庭の神様はジュノーっていうんだぜ。
 ただの偶然。ヨーロッパにはそんな風習なんかないんだから。バレンタインと同じよ。
 そんなことないよ。必然だよ。きっと六月はジュノーにあやかってジューンって名付けられたんだよ――


   ◇ ◇ ◇


 真船恭一がきょろきょろとカフェを見回すと、奥のボックス席から強面の男が歩いてくるのが見えた。
 「本日はご足労いただきまして……」
 「ああ、いや、そんなに堅苦しい挨拶は」
 外見には似合わぬ律儀さで頭を下げる男をやんわりと制し、真船は彼と一緒に席に着いた。
 「それで、僕に話というのは?」
 丈二というこの男が真船の元に電話をよこしたのはつい三日前のことだ。真船がよく知る女性のことで相談があるという。真船自身は丈二とはまったく面識がなかったが、「彼女のことなら」と二つ返事で承諾したのだった。
 「電話でお話しした彼女のことなのですが……」
 丈二は懐の手帳から大事そうに写真を取り出した。
 「今度、彼女と結婚する予定なんです」
 写真の中では真船の妻と同じ顔の女性が微笑んでいた。


 ウエディングドレスに身を包んだ美晴は黙りこくっていた。
 仕立ての良いモーニングを着込んだ真船もまた黙っている。しかし彼の顔に険しさはない。ただ静かに美晴の言葉を待っているといった様子だ。
 それが分かるから美晴も口を開けない。
 真船ならばきっと受け止めてくれるだろう。だがその後はどうする。結局、最後に決断するのは美晴自身だというのに。
 「……本当に」
 やがて美晴は震える唇で言葉を紡いだ。
 「本当に、結婚していいのかしら」
 「それを決めるのは僕ではない。僕が決めて良いことでもない筈だよ」
 「分かってる。だけど……でも」
 レースの手袋に包まれた手がドレスの裾をぎゅっと握り締めた。
 「そう定められているから結婚するんじゃないのかって……私、どうしても……」
 繊細な新婦の言葉は風船が萎むように消え入り、花嫁控室は再び沈黙で満たされてしまう。
 美晴はいったん死に別れたと思っていた夫と劇的な再会を遂げた。この銀幕市でなければ実現しなかったであろうドラマチックな展開だ。
 そして今日、美晴は再び夫と結婚する。かつて彼と結婚していたからこの場所でもそうするのか、もしそうだとしたらそれで良いのか……。そんな思いがどうしても拭えない。
 美晴を後押ししてくれたのは真船だった。せっかく再会できたのだから結婚すればいい、と静かに諭してくれた。真船は美晴を何かと気にかけてくれたし、美晴も真船を信頼していた。
 だからこそ。
 「……お願いがあるの」
 声を震わせて目を上げると、そこには真船の真摯な顔がある。
 「あなたが決めて」
 「僕が?」
 「ええ。きっと自分じゃ決められない。もしどちらかに決められたとしても、もうひとつのようの道を選んでおけばよかったんじゃないかってうじうじ後悔してしまう気がするの」
 だから信頼する相手に決断を委ねたい。真船が出してくれた答えならきっと受け入れられる。
 ――沈黙が下りる。
 顎に手を当てて黙考する真船を肩に乗ったバッキーが不思議そうに見つめている。だが、愛らしい生き物の姿ですら今の美晴を和ませることはできない。幸福の象徴のようなドレスに身を包んだ花嫁は手を震わせ、息さえ詰めて真船の唇を見つめていた。
 やがて真船は顎から手を下ろし、唐突に美晴の前にしゃがみ込んだ。
 「ならば、逃げようか?」
 ぐんと真船の顔が近付き、美晴は「え」と喉を震わせた。
 「僕と一緒に。どこか遠くへ」
 静かな声とは裏腹に、真船の手は美晴の繊手をしっかりと握り締めている。このまま有無を言わさず引き寄せられそうな感覚と唇が触れそうなほどの距離に本能的な恐怖と拒絶が湧いた。
 「嫌……丈二さん! 丈二さ――」
 思わず花婿の名を叫び、はたと我に返る。そしてようやく気付いた。
 自分は今、他の誰でもないあの人の名を呼んだのだと。
 真船は静かな苦笑を浮かべて立ち上がった。
 「驚かせて済まん。柄に無いことをするものではないね」 
 美晴に見せるように開かれた掌にはじっとりと汗が滲んでいる。「今、彼の名前を呼んだね? 人間は咄嗟の時ほど嘘がつけなくなるものだ。逆を言えば、そんな時こそ本心が出るものなのではないかな」
 「……そんな。たまたまよ」
 「そうだとしても、君はこの街で彼の名前を呼んだんだよ。元の場所とは関係なく君自身が望んだことだと僕は思うが……」
 真船の微笑はどこまでも穏やかで、優しい。美晴が他の男と結婚すると知って尚。
 美晴は軽く唇を噛んでうつむいた。膝の上で握り締めた拳には真船の手のぬくもりが残っている。
 「ねえ……ひとつ教えて」
 「何だい」
 「変なことを聞くけど、貴方は気にしないの?」
 私があなた以外の相手と結婚しても良いの?
 言外に意地悪な訴えを乗せてみても、真船はやはり穏やかに肯いてみせるだけだった。
 「君は彼女ではないからね。君は君として、彼を愛しているんだろう?」
 「……私は、私として」
 「そうだ。元居た場所とは関係なく、君は君の心に従って決めた。元の世界のことを知った上で君は再び彼を選んだのだから。――さあ、行こう」
 真船は背筋を伸ばして花嫁に手を差し出した。
 美晴はかすかに目を揺らした。この手を取れば祭壇の前へと導かれる。そうなればもう後戻りはできない。
 だが――自分の想いを否定し得る根拠はもはやすべて失われていた。
 「彼が待っているよ。きっと今頃やきもきしているだろうね」
 真船の笑顔は不安も疑念も包み込んでくれる。春の陽だまりのように優しくくるんで、溶かしてくれる。
 否定する理由がなくなったのなら、後は迷わず肯定するだけだ。
 「……ええ」
 花嫁はにっこり微笑んで真船に手を預けた。


 花婿へと続く扉が今、開かれる。
 重厚な絨毯が敷き詰められたバージンロード。両脇を彩る白い花とリボン。スタンディングオベーションで出迎える参列者たち。
 穏やかな祝福と笑顔に見守られ、真船は花嫁をゆっくりと導く。
 「実はね」
 拍手の音に紛れるようにして真船はそっと耳打ちした。
 「少し前、彼からも同じ相談を受けた。……君たちは良い夫婦になれるよ」
 美晴は驚きに目を瞠ったが、すぐにはにかんだように笑って肯いた。
 祭壇では新郎の丈二が待っている。ガチガチに緊張した強面の彼には白いタキシードがあまり似合っていない。しかしこの晴れの日にそれを指摘するのは野暮というものだろう。
 祭壇へと続くきざはしの前でエスコート役から花婿へと花嫁の手が渡されるのがならいだ。しかし真船は美晴の手をそっと持ち上げただけであった。
 「美晴」
 「はい、丈二さん」
 「――もう一度、俺と結婚してくれ」
 「……はい」
 「おっと。泣くのは彼の隣に行ってからにしてくれたまえ」
 慌てた真船はついそんなことを言ってしまった。美晴が自分で丈二の手を取るまで待とうと思ったのだが、ここで泣かれては台無しだ。美晴はくしゃくしゃの泣き笑いのまま肯き、真船の手を放して丈二の手を握った。
 「ありがとう……真船さん」
 一段一段きざはしを上る美晴を真船は静かに見送った。


 「名エスコートだったわね、恭一さん」
 参列席に戻った真船を美春の笑顔が出迎えた。
 「だけど、ちょっと妬けるわ。ウエディングドレスを着て恭一さんとバージンロードを歩けるなんて」
 「よしてくれ。いくら君が演じた役でも、美晴さんは君とは別人だよ」
 女優でもある妻に悪戯っぽく睨まれ、真船は苦笑しながら頭を掻いた。
 新婦の美晴も新郎の丈二もムービースターだ。二人の結婚と花婿の死から映画は始まる。若いヤクザの組長と結婚した娘が病死した夫の代わりに組を背負い、ヤクザの世界を知らない彼女が周囲を巻き込んで組の危機を乗り切るという十数年前のコメディである。
 美春が演じた役という縁で真船夫妻は美晴と知り合った。実体化して間もない頃から相談に乗ってやったり、丈二との関係を応援してやったりと親しい付き合いを続けてきた。
 「だが、美晴さんは十数年前の君の姿であることは確かであるわけだ。それを考えれば素晴らしいね」
 「どういう意味?」
 「彼女は今の君と変わらん姿をしている。君の美しさは十数年前と全く変わっていないということだよ」
 「あら……進歩がないっていうこと?」
 「い、いや、まさか。ただ、年齢を重ねても若さを保っていられるのは素晴らしいと言いたいだけで……いや、もちろん若さがすべてだなどとは思わんが」 
 「ふふ、分かってるわよ」
 静かに笑い合う夫婦の視線の先では誓いの言葉が厳かに読み上げられている。
 映画の中での結婚は筋書きに従っただけのことだったのかも知れない。しかしこの場所で再会した二人は映画の存在を知って尚ともに添うことを選んだ。
 夢はじきに終わる。たとえわずかな猶予にすぎなくとも、この先二人は映画に奪われた時間を大事に生きていくと信じている。互いを思いながら、二人一緒に。ささやかな、しかしスクリーンの中ではかなわなかった幸せをこの街で。
 「幸せになってくれるといいね」
 「ええ。きっといい夫婦になれるわ」
 「僕たちみたいに?」
 「決まってるじゃない」
 肩を寄せ合う二人の間で、ウエディングドレスと同じ色のバッキーがきょとんと首をかしげていた。


   ◇ ◇ ◇


 式場、来年の六月にまだ空きがあるんだって。ねえ、六月にしようよ。
 だから、ジューンブライドなんて迷信だってば。
 どうして迷信やでっち上げだなんて決めつけるんだ。もし迷信でも信じて実践すれば本当になるかも知れないだろ?
 六月以外の月に結婚して幸せな家庭を築いてる夫婦だってたくさんいるわ。
 ……それはそうだけど。
 ま、六月でいいんじゃないの。幸せになれなかった時の言い訳にされたくないし。
 どういう意味だよ。結婚って幸せになるためにするものじゃないのか?
 だったら式を挙げる月なんて関係ないじゃない。
 ……あ。 
 

 (了)

クリエイターコメントご指名ありがとうございました。いつもお世話になっております、宮本ぽちでございます。
ジューンブライドの企画プラノベをお届けいたします。

ちょっと構成をいじってみました。花嫁さんの名前がまぎらわしいのもわざとです。
ちなみにタイトルは言うまでもなく「再婚」です。厳密な再婚とは違いますが、再び結婚するという意味合いで。
second marriage もまた再婚の意味ですが、改めてやり直すというニュアンスで remarriage を選びました。

素敵なオファーをありがとうございました。
それにしても真船様、なんていぶし銀な役回り…!
公開日時2009-06-11(木) 19:00
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